(2026年7月時点)
この文章は、今の自分が一年後の自分へ残す記録である。
一年後、この文章が予約送信で届いた時、僕はきっと細かい出来事や、その時の感情を忘れているだろう。
だから、その時の自分へ伝えておきたい。
忘れるな。
今の自分があるのは、自分一人の力ではない。
人生を振り返って、僕が一番強く感じること。
それは、本当に運が良かったということだ。
ただ、それだけだと思う。
記しておきたいことがある。
僕がここで言う「運が良かった」という言葉は、誰かと比べるためのものではない。
人生には、自分では選べない環境や、自分ではどうすることもできない出来事がある。
だからこそ、自分が受け取ったものを当たり前だと思わないようにしたい。
僕が言いたいのは、ただそれだけだ。
でも、その運を運んできてくれたものは、いつも人だった。
人生には、何度も分岐点があった。
あの時、あの人に出会わなかったら。
あの時、あの言葉を聞かなかったら。
あの時、誰かが声をかけてくれなかったら。
今の自分は存在していない。
僕の人生は、自分で階段を一段ずつ登ってきたというより、誰かが用意してくれたエレベーターに乗せてもらっていたような人生だった。
もちろん、エレベーターに乗っただけで、何もしなかったわけではない。
その場所で何を感じ、何を吸収し、どう向き合うかは、自分自身に委ねられていた。
ただ、そもそもそのエレベーターに乗る機会を与えてくれたこと。
その扉を開けてくれた人がいたこと。
それを忘れてはいけないと思っている。
そして、そのエレベーターの一つ一つの階には、必ず誰かがいた。
その人たちが、僕の人生に一枚ずつミルフィーユの層を重ねてくれた。
一枚、また一枚。
その積み重ねが、今の自分になっている。
海外で働くきっかけをくれた人。
仕事の考え方を教えてくれた人。
自分では気づかなかった視点を与えてくれた人。
苦しい時に支えてくれた人。
尊敬できる上司。
共に働いた仲間。
そして、人生で出会ったすべての人たち。
僕は、周りから見れば努力していたように見えたこともあるかもしれない。
でも、自分自身の感覚は少し違う。
僕自身は、努力しているという感覚はあまりなかった。
ただ、尊敬できる人から学ぶことが楽しくて、もっと知りたいと思っていただけだった。
尊敬できる人の話を聞くことが楽しかった。
その人が何を考え、何を大切にして仕事をしているのかを知ることが嬉しかった。
知らなかったことを知ることが楽しかった。
だから、長い時間を使うことは苦ではなかった。
自分を無理に奮い立たせていたわけではない。
ただ、もっと知りたいと思わせてくれる人に出会えた。
「この人みたいになりたい」
そう思わせてくれる人物に出会えたこと。
それ自体が、僕にとって大きな運だった。
仕事で出会った尊敬する上司たち。
その人たちが持っていた仕事への姿勢。
責任感。
会社のお金を見る視点。
人を動かす考え方。
そういうものを、僕はただ聞いていた。
でも、その時間が僕にとって何よりの学びだった。
周りから見れば、仕事の話を何時間も聞いているだけだったかもしれない。
でも僕にとっては違った。
尊敬する人が、自分の知らない世界を見せてくれていた。
こんなに楽しい時間はなかった。
だから自然と耳を傾けた。
自然と吸収したいと思った。
それは努力という感覚ではなかった。
ただ、夢中になっていただけだった。
だから僕が恵まれていたのは、努力できる性格だったからではない。
努力だと思わず夢中になれるほど、尊敬できる人たちに出会えたこと。
そして、その人たちが持っていた考え方や姿勢に触れることができたこと。
それこそが、僕にとって一番大きな贈り物だった。
あの時、声をかけてくれた人がいた。
その人との出会いがあった。
だから今がある。
家族にも感謝している。
そして、元妻にも感謝している。
夫婦としては終わったとしても、子供たちにとって母親であることは変わらない。
そして、子供たちの前で父親である僕を否定しなかったこと。
それによって、子供たちは今でも父親として僕を見ることができている。
それは当たり前のことではない。
本当にありがたいことだと思う。
これは自分を正当化するための文章ではない。
過去の間違いや、人を傷つけたことを消すための文章でもない。
これは、自分が人生の中で受け取ってきたものを忘れないための記録である。
子供たちにも感謝している。
特に息子からもらった言葉は、今でも心に残っている。
人生で起きた出来事を、どう受け止めるか。
苦しい経験をただ苦しいままで終わらせるのか。
それとも、自分の人生の一部として受け入れ、前へ進む力に変えるのか。
その考え方を持っている息子を見て、親として嬉しく思った。
でも、それも僕が与えたものではない。
息子自身が人生の中で見つけたものだ。
そして、また僕は息子から大切なものをもらった。
人生とは、本当に不思議なものだ。
自分が誰かに何かを与えたと思った時でも、実際には自分の方が何倍ものものを受け取っている。
だから僕は思う。
僕の人生は、運の積み重ねだった。
そして、その運を運んできてくれたのは、いつも人だった。
一年後の自分へ。
もし、今の生活や今の環境を当たり前だと思うようになっていたら、この文章を読み返してほしい。
今の仕事。
今の家族。
今見えている未来への希望。
それらは、多くの人がくれた一枚一枚の積み重ねの上にある。
感謝を忘れるな。
人への敬意を忘れるな。
そして、この先も学び続けろ。
人生はまだ終わっていない。
この文章は、2026年7月時点での完結編である。
でも、本当の完結編ではない。
本当の完結編を書くのは、人生最後の日だ。
そして、その日までに僕が忘れてはいけないことがある。
僕は、自分の人生を振り返った時、決して一人でここまで来たとは思っていない。
気づけば、多くの人が僕の人生に一枚ずつ、丁寧に層を重ねてくれていた。
その一枚一枚があったから、今の自分というミルフィーユができている。
だから、これからの人生では、僕も誰かの人生に一枚でも重ねられる人間でありたい。
大きなことをする必要はない。
誰かにかけた一言が、その人の背中を押すことがあるかもしれない。
自分が何気なく伝えた経験が、誰かの未来につながることがあるかもしれない。
昔、自分が多くの人から受け取ったように、今度は自分が誰かに何かを渡せる人間でありたい。
人生は、そうやって人から人へ、見えない形で重なっていくものなのだと思う。
そして最後の日に振り返った時、
「本当にラッキーな人生だった」
そう心から言えるように。
感謝を忘れずに生きていこう。
