北条得宗家の鎌倉めぐり

北条得宗家の鎌倉めぐり

鎌倉散策や鎌倉散歩の様子の他に養老孟司教授の著書を中心として紹介

【禁止⛔️事項を出す理由】

1.本📚️や新聞📰などの押し売りという見過ごせない事態が起きたから
2.鎌倉や奈良以外の🛕長谷観音🪷の話のように子供じゃあるまいしオンリーワン宜しくな自分のしたい話ばかりして記事💻️🖱️をブチ壊しにしたから
3.記事と関係ない浄土真宗の成福寺🛕を勝手に出し始めた後ひけらかした知識が教科書📕レベルで明らかに間違っていたから
4.記事を読まずにマトモなコメント出来る人が結局いないから

神奈川県では朝🌅からクマゼミの大合宿♪
シャッシャッシャッシャッ(小刻みに震わせる)ジリリリリ(小刻みに余韻)
シャッシャッシャッシャッ(小刻みに震わせる)
ジリリリリ(小刻みに余韻)

 

告白から単行本で7年、文庫本から3年の歳月が流れた。それ以来、薬物依存症の恐怖と戦ってきた。まもなく執行猶予が明ける。

 

 

覚醒剤取締法違反によって有罪判決を受けた清原和博。執行猶予中には薬物依存症や後遺症の鬱病の苦しみから自殺願望を抱え、もがき続けていた。本当にキツイ時間が長く続いていた。キッカケはほんの小さな心の穴を埋めるモノであった。薬物に溺れる。

 

 

オリックス・バファローズで現役引退を遂げた翌日から第二の人生が始まる。バットは握らなくなった。もう手術した左膝の状態のことを朝から晩まで考えなくていいし、もう打たなければならないという重圧や緊張も感じなくなっていた。最初はすごく開放的な気分だったという。家族と過ごす時間が増えたために週末になれば長男が出場する少年野球の試合を見に行くことが出来た。

 

 

一緒にスポーツ用品店に行ってバットやグローブを買う。バッティングセンターに行って「もっとこうやって打った方がいいよ」と教えてあげる。息子は素直で言うことを聞いていたから、どんどん上達していく。コイツは才能があるなあと親バカになって嬉しくなったという。毎週、毎週、息子が出場する試合の日が待ち遠しくて仕方がなかったという。これが本当の幸せだと受け止めることが出来なかったという。自分のホームランに変わる快感を求めていた。趣味がないのでゴルフやギャンブルも没頭できないし、また野球解説者の仕事もタレントとしてテレビに出演する仕事にも没頭することが出来なかったという。今現在、手中にあるものより、もはや失ってしまったものばかり気になっていた。男として誰よりも強く、また誰にも負けない人間だと傲慢になる。

 

 

自分が思い描いたのはこんなんじゃないと酒に溺れるようになった。そんな時に夜の酒場で知り合った人物から白い粉が渡されたのである。憂鬱な気分なんか吹っ飛んでしまうと軽い気持ちで手を出した。目標を持てず、何者かも分からない自分が嫌で、そういう自分から逃げたくて酒を飲んだ勢いでやったという。嫌な気持ちを忘れるために夜な夜な酒を飲む。覚醒剤をやって家に帰れば家族と過ごすいつもの自分がいる。息子たちは清原和博のことを「アパッチ」と呼んでいた。一方で夜になると家族には言えない自分がいる。初めは覚醒剤を水で溶かして、それを熱してからストローで吸引する「あぶり」という方法だった。だんだん量が増えていき、そうしているうちに友人や知人との大事な約束をすっぽかしたり、また仕事もすっぽかしたり、家族との時間さえ削られていく。記憶も曖昧で、自分がどういう行動をしたのか、後から考えると暴言を吐いたり暴力を振るったという記憶もない。

 

 

元妻の亜希はそのことに気づいて、ずいぶん悩んでいた。しかし夜になると不安から余計に覚醒剤に手を出す。いつでも止められると思っていた。ある日、帰ったら家がもぬけの殻になっていた。いちばん大切な存在を失ってしまった。理解が出来ず、受け入れられないので息子が試合をやっているグラウンドや学校にまで行って探し回ったという。薬物を使うと頭がスッキリと冴えて何日も眠らなくても平気になるという。その反面、効き目が切れると何日間も死んだように眠り続けるという。人間の脳は一旦、快感を覚えてしまうと、次からは同じ快感では済まなくなる。例えば、いじめ、インターネットの承認欲求、酒、そして薬物というのはエスカレートしていく。オーバードーズで病院に担ぎ込まれた。やはり致死量に達して薬物を投与していた影響だったのだ。

 

 

父親や母親に加えて友人や知人、名前を挙げるなら佐々木主浩や桑田真澄らなど、すでに清原和博が薬物依存症だと知っていたという。集中治療室に駆け付けた両親、母親は「先生!いくらでのお金を払いますからこの子の命を助けてください!」と医師の足にすがりついて泣いていたという。自分をやめるには死ぬしかないので短刀を売ってくれないかと職人に相談に行ったこともあるが、それでも死ぬことは出来なかったという。結局、覚醒剤に手を出したのはアルコールがキッカケだったという主治医のアドバイスから、まずアルコール依存症を治すことに取り組んだ。鬱病の薬はアルコールと併せて飲むと、自殺の危険性があるようだ。

 

 

ところが甲子園の決勝へ行って自分の心と体が少しずつ動くようになると、また飲みたくなるようだ。だんだんと酒が飲めるようになり、その頃は飲みたいと思うことが幸せに感じられたという。一日の中に喜びを見出すことが出来なかったところから、ようやく少しずつ飲めるようになり、その頃は母親の危篤状態と薬物依存症の影響からアルコールに逃げていた。そのうち意識が朦朧とするようになるぐらい飲むあたり主治医は「アルコールは合法ドラッグなんです」と言うので、おもにコンビニで売っているようなアルコール度数の低いものは注意した方がいい。反対にウイスキーのロックを飲むようになった時に、銀座で騒ぎを起こす。

 

 

巨人時代の担当記者と会っていた。自分は酔っていないから早く帰れの何だの言って担当記者を早く帰らせると、そこからまた知人と飲み始めた矢先での出来事だった。週刊誌に『清原、銀座で大暴れ』『清原、警察沙汰』の見出しが躍る。八王子で開催してもらった野球教室にはデーブ大久保が東北楽天ゴールデンイーグルスのユニフォームを着ていた。みんな過去に所属したチームのユニフォームを着て、自分だけユニフォームがない。どこの球団からもユニフォームの使用許可がもらえなくて寂しい思いをしたという。そんな時、佐々木主浩が飲みに行こうと誘って12時前での帰宅を練習させたという。強制的にタクシーに乗せて帰した。

 

 

逮捕された日の記憶が蘇る2月2日。4年が経過して1年で最も憂鬱な気分になったという。朝起きて沈んでいて、昼を過ぎても落ち込んでいる。別のことを考えて紛らわせようにも逮捕の瞬間が浮かんで来る。あと7時間、あと6時間とカウントしていくのだ。

 

 

報道の通り、あの日は群馬県まで車を走らせて手に入れていた。週末は息子の野球を見ようと遠くから見ようと少年野球のグラウンドに行っても、息子は風邪なのか出場しておらず一気に寂しくなったという。だから春季キャンプの2月1日にまず使ったというのだ。そんな大事な日に使って、まだ抜けていないから2月2日の夕方に再び使う。警察は使ったのを見計らっていたかのようにドカドカと入ってきた。ゴミ箱に捨てなきゃと思って、まさに注射器を捨てようと立ち上がった瞬間だった。まさに現場は修羅場と化した。テーブルにあるものを指差して「これは覚醒剤ですね?」と聞かれた。呆然として「はい、そうです」と答えたものの、この時点ではまだふわふわとして逮捕されたんだという実感はなかったという。現実感はなく、まさに夢の中にいるようだった。

 

午後10時37分

覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕

 

手続きが終わった後にそう宣告される。捜査員から腕に手錠をはめられる「カチャン」という音と肌に伝わる金属の冷たい感触によって、そこで自分がやってしまったことの重大さを認識したという。車に乗せられて警察に連行されていく時は頭がグルグルと回っていたという。ああ、俺は逮捕されたんだ…どうしよう、どうしよう、どうしよう、と、そればかりが頭を巡って他に何も考えることが出来なかったという。人の記憶は薄れるというけどパトカーに乗って連行されていく光景はよく覚えているという。夕方を過ぎた頃、元妻の亜希が中学2年生の次男の動画を送ってきてくれたという。次男は都内の硬式野球チームに所属していて、そこでランニング・ホームランを打った。霧がパーッと晴れた気がしたという。朝昼晩、薬物依存症のための薬を飲んで向き合う毎日だったが、やはり息子の存在は大きかった。薬物依存症で社会的地位、財産、仕事、色んなモノを失った。ただそれを取り戻そうという執着はなかったという。オリックスで左膝の手術をした時も長男は「リハビリ辛いけど頑張ってね」と覚えたての言葉で書かれた手紙を送ったという。引退試合は息子二人と涙を流した。そんな息子がホームランを打ったバットを送ってくれた。そこに「アパッチへ」と書かれていた。西武に入団した時に両親と撮った写真のように息子二人と再会した時の写真が飾られているようだ。真っ暗な4年間の中で少しでも前に進むことが出来たのは、このバットや写真に象徴されている。少しでも取り戻そう。

 

 

5年ぶりに二人の息子と再会した。足立区の室内練習場だった。高校2年生と中学2年生で、すっかり大きくなった息子たちがそこにいた。離婚してからは会えなくなって、もう二度と会えないと思っていた。清原和博はその場に突っ立って「ごめんな…」と泣き崩れた。どうしていいか分からない父親を見て長男が「大丈夫だよ」と言ってくれた。遊びたい盛りの長男がオリックス時代にケガの心配をしてくれた。薬物に溺れていた時期、家に帰ると長男が書いた日記のようなものがテーブルの上にさりげなく置かれていた。そこには『夏休みにはお父さんにいっぱい野球を教えてもらいたいと思います』と書かれていた。学校で提出したものだろうから元妻の亜希が見えるように置いたのだと思う。別居に離婚に逮捕で、長男は思春期だからこそ悩み父親を恨んだと思う。

 

 

そんな父親に長男は「大丈夫だよ」と言ってくれた。元妻の亜希は弁護士を通じて再会の場を設けてくれた。それまでは弁護士を通じて写真を渡すだけだったが、次男が野球について悩んでいると打ち明けると長男が「それならアパッチしかいない」と漏らしていた。母親の置き土産しかない。逮捕されてから4年のうち最初の2年間はほぼ寝たきり。清原和博が高校に入る前に父親とキャッチボールした時「もうお前のボールは捕れないよ」と言った場面を覚えている。息子たちとキャッチボールをして、そういう順番が自分にもやってきたと思った。次男は中学生で都内の強豪チームに入っていて、バッティングに相当、悩んでいたのだろう。

 

 

次男に言ったのは「三振を恐れずとにかくバットを思いっ切り振ろう」ということだった。とにかく遠くに飛ばすこと、速い球にしっかりとバットを振れるようになること、そうするためにはどうすればいいのかを考えてごらんと、そう伝えた。長男は高校ではアメフト。ベンチプレスを軽々と上げる。心と体も清原和博より大きくなろうとしている長男。長男が生まれた時、清原和博の名前を付けてくれた住職に頼んでいくつか名前の候補を出してもらって、その中から「昇吾」と名付けた。次男は「勝児」と強そうな名前を付けた。生まれた時はあんなに小さかった二人が、ここまで大きくなったと、そういう感慨に浸っていた。夢の中だ。

 

<精神科医・松本俊彦>

 

私にとって最もメインで重要なのはココ。人はなぜ薬物依存症になるのか。大学時代に心理学を取って講義を受けても、さっぱりだったという人は少なくないはず。勉強に関しては脳の中の理解であり、やはり身体的な理解ではない。薬物に溺れるのは脳の中の報酬系と言われる部分が影響しているから?なのか。いわゆるドーパミンと呼ばれる快楽物質に支配されるから?というのはメカニズムとして間違っていないが、では酒やタバコをやっている人が全員、依存症になるかと言うと決してそうではない。そもそも薬物は最初はビールやタバコを最初に口にした時と同じく苦いらしい。思わず「ウェッ!なんだコレ!」というのが大半なのだそう。私はビールは未だ苦いと思っているから普段はいっさい飲まないし、またタバコも吸ったことがないからよく分からない。

 

 

ただ一つ挙げられるのは孤独なのだそう。だから現代版「市中引き回し」は遠慮して欲しいという。その先に待っているのは晒し首だが、つい最近までもテレビの中継を見ていると芸能人は敢えてカーテンを開けたまま顔が見える状態で警察署に入る。推定無罪なのに顔を見せるのはどうか?というのが松本俊彦医師の主張だった。意外にもメカニズムは書かれておらず、むしろ他人に厳しくて自分に甘い、という現代人の癖を直して欲しい、というのが結論だった。本来、他人に甘く自分に厳しくなければ成長が出来ないのは理想論として確かにあるが、おもに日本では欧米と正反対の論調が繰り広げられる。本当に直さなければいけないところを直さないで、そこは時と場合によるでしょう!という場面で「あーでなければ、こーでなければ、いけない」という変な主張と思い込みが繰り広げられる。私なんて年上だから自分が正しいと思ったこともないし、知識なんてちょっと話せばすぐにバレてしまうものだし、なんでオッサンってこんな分かりやすいウソをつくんだろう?とは思う。ディスコで大麻パーティを繰り広げていた中高年こそ注意だね。昔なんて大麻ぐらいで逮捕に至らないけど80年代に「薬物やめますか?それとも人間やめますか?」というキャンペーンでポスターが張られていたのは、そういうこと。90年代から逮捕されるようになった。生き方は悩みが尽きず。

 

【ニューソース】

文藝春秋社・文春文庫 公式サイト

国立精神・神経医療センター 公式サイト