こんばんは気づき

 

見にきてくださり

ありがとうございますニコニコ

 

今日は、

 

不定期連載・目指せ健康な50歳

番外編: 『13年病んだ。ママ友への恨みをぶちまける』です。

 

 

めっちゃ不穏なタイトル。とても暗い内容となっております驚き

でも、誰しもこんな事が一度くらいあるのでは無いかな…?

健康な50歳になるために、自分の心にずっと残る負の感情に向き合いたく、書くことを決めました魂

 

 

今回の前編は、恨みをぶちまける回

次回の後編は、なぜわたしは13年も引きずったのか?

について書きたいなと思います!

 

 

ちなみにずっと仲良しの次男の時のママ友ではなく、長男の時の話になります。

 

 

事の発端は卒対です。

 

小学校6年生になると、卒業対策委員会というものが出来ます。

「卒対って大変よね」という話は何度も聞いてました。出来れば絶対にやりたくない卒対。

 

長男が通っていた小学校は、6年間のどこかで保護者が委員を1年以上やるというルールがありました。

ですが、6年生ともなるとやった事がある人がほとんど。

 

 

6年生最初の保護者会のあとに、地獄の委員決めが開催されるのです。

体育館に集められて立候補が出るまで誰も帰れませんガーン 

一時間の話し合いで委員は決まったのですが、卒対は各クラス5名ほど必要で残りの2名が決まらず。

 

 

保護者1人ずつ出来ない理由を発表していく辛い時間チーン

介護・妊娠・病気、それぞれ出来ない理由を話します。

今の時代はこんなのきっと無いですよね?

でも、長男の時代はあったのです汗

 

 

私は、出張がかなり多い会社にフルタイムで勤めていたので、

卒対を引き受けたとしても参加するのが難しい旨を話しました。

結局最終的に決まらず、くじで決めることに。

その結果、 卒対に選ばれてしまったのですアセアセ

 

 

 

卒対の大きな仕事は、卒業アルバム制作・謝恩会準備と運営・卒業記念品の準備。

その年の卒対は、それぞれの仕事にリーダーは作るけれど、基本はどの仕事も全員参加。全員の負担がなるべく同じになるようにすると決まりました。

 

引き受けたからには、決められた仕事をやるしかない!毎月2回の打ち合わせ(平日の昼に打ち合わせ、有給代休早退使って参加)、家での持ち帰り作業も多くて大変でした。

 

 

わたしはその頃、地図を作るお仕事していたんです。全国出張が当たり前の会社でした。

私自身、とんでもない幸運で入った会社だったので仕事もとても大切だったんです。

 

出張ありのお仕事なので、毎月の打ち合わせに出られない事もあり、周りに助けられながら両立してたのですが…、卒対が忙しくなる12月に同僚が突然他部者に異動にアセアセ

 

 

先ほど地図を作る仕事って書いたのですが、仕事内容は大型の商業施設や駅や空港などのいわゆる屋内地図を作ってたのです。社員がリーダーになり、アルバイトさんを10人くらい連れて行き現地で作業をするんです。

 

リーダーは私含めて3人いたのですが、同僚の異動で2人に。ちょっと変わった仕事なので、簡単に引き継ぎが出来る内容でもなく、1月の大型出張を急遽私が行く事になったのです。北海道の空港の地図の作成で3週間の出張チーン

 

 

長男6年生、次男1年生です。3週間も家を空けるなんてゲロー

ですが大きな仕事。穴を開けるなんてことは絶対出来ず、夫と母と義母に協力してもらい、出張へ飛び立ちました✈️

 

めっちゃ長くなってますが、ここからが恨みをぶちまける話です。長いので分割しますねアセアセ

 

 

続く。

 

またすぐに更新します!

 

こちら、つづきです↓


 

 

ではでは、Hanaでしたෆ‪ 
  
最後までご覧くださり
ありがとうございます◡̈* 

 

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