『自分以外全員他人』という題に惹かれてこの本を購入した。
自分以外全員他人、って、考えてみれば当たり前のことなのだが、改めてこうしてズバリと突きつけられると妙に引っかかる。
読み始めてすぐ、なんかこの主人公、「現代版・大庭葉蔵」みたいやなと思った。
読み進めるうちに、その感がますます強くなった。
そのうち、もしかして、大庭葉蔵のパクリではないか、とまで思い始めた。
私は基本的に、明治・大正・昭和の作品が好きなので、最近の作家の作品はまず読まないのだが、この『自分以外全員他人』にはどっと引き込まれてしまった。
その大庭葉蔵もどき主人公、柳田譲、44歳、独身。
マッサージ店で働いている。
どこにもいそうな普通の人なのだが、彼の生きづらさは痛いほど分かる。
理不尽な客、理不尽な同僚、理不尽な親、理不尽な隣人etc.etc. その人たちに傷つけられながらも、その人たちだって、どこにもいそうな普通の人たちなのだ。
だからこそ、人間社会で生きるということは、そもそも大変ややこしく、困難であることを改めて思う。
コロナ禍も描かれており、あの異様な人と人との距離感もリアルに思い出した。
で、最後まで読んで、この作者西村亨氏は、『人間失格』を読んで作家を目指すようになり、この作品自体、第39回太宰治賞を受賞していたことを初めて知った。
だからか。いかにも大庭葉蔵みたくなのは。
ただ、大変上から目線の感想だけど、同時に、太宰治の作家としての力量が際立った。
生きづらさや苦しみは、今も昔も本質的に変わらないわけで、それを虚実ないまぜにして吐露していることは同じなんだろうけど、太宰の作品はそこにプロ作家としての技量がある。
単に吐露しているだけではない。ときには読者を挑発し、ときには読者を笑わせ、ときには読者に嘲笑させる。それが決してわざとらしくない。そうして知らぬ間に、読み手を翻弄する。
いや、もしかしたら100年後、『自分以外全員他人』が今の『人間失格』の立ち位置に立つのかもしれないな。
理不尽は 人によっては ごく正当
鞠子